天平の甍・太宰府督府楼の複弁八弁蓮華文の軒丸瓦

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天平の甍・太宰府督府楼の複弁八弁蓮華文の軒丸瓦
 
 30数年前、テストパイロットは朝鮮式山城の調査団の一行に随行し、太宰府を訪れた。この複弁八弁蓮華文の軒丸瓦は、対応してくれた教育委員会の職員からいただいたものである。
 むろんレプリカである。実物は博物館にあるとのことであるが、天平の甍を思いはせることができる・・・
  今は額装して玄関に飾っている。
 
 ウイキペアによると、太宰府督府楼跡や観世音寺境内から出土した瓦のうち、創建時の瓦とされるものは、老司 I式と称され、飛鳥の川原寺や藤原京の瓦の系統を引く、複弁八弁蓮華文の軒丸瓦と偏行唐草文の軒平瓦の組み合わせからなるものである。この老司 I式瓦は現在の福岡市南区老司にあった瓦窯で焼造されたもので、7世紀にさかのぼる。
 
 この時、菅原道真も聴いた国宝の観世音寺の梵鐘を撞かせてもらえるという便宜をはかってくれたので、23歳の元気いっぱいの頃であったテストパイロットは、渾身の力を振りしぼって鐘木を引いて梵鐘を撞いたところ、案内の教育委員会の職員は、「誰がそんなに強く撞けと言いましたか。国宝ですよ・・・」と真っ青になった。
 梵鐘は殷々と鳴り響き、その妙なる音は、今でも思い起こすことができる。
 
  観世音寺に現存する梵鐘は、正確な鋳造年次は不明ながら、京都・妙心寺の梵鐘(「戊戌年」(698年)銘がある)と同一の木型によって鋳造された兄弟鐘とみなされる。これらのことから、7世紀末ころまでにはある程度の寺観が整っていたものと推測される。