舞台は一期一会、忘れ得ぬ人 杉村春子さん ①
舞台は一期一会、忘れ得ぬ人 杉村春子さん ①
問題は、ギャラ、経費である。
17人の役者、大道具、小道具などの舞台装置、総勢30数人の二泊三日の経費は、と思っていると、民藝さんと同じでいいとの話であった。
それでは、杉村さんのギャラは日建てで1万ウン千円しかならない。
テストパイロットの一日の日当よりも低い・・・
一つには、小豆島に若いころ杉村さん宅でお手伝いさんをしていた人がいる。その人に芝居を見てもらいたい。また、文学座はこれまでどちらかと言えば都市部を回っていた。普段生の芝居に、舞台に接する事が少ないところを回ろうという杉村さんの考えがあったからである。
公演は、平成7年2月28日(火)に決定したが、様々な困難が立ちふさがろうとは、その時は、思いも寄らなかった。
公演を間近に控えた二月に入ると、読売演劇大賞に杉村春子さんが受賞した。ここで困ったのが、授賞式であった。なんと27日夜にということ。杉村さんは授賞式を終えると最終の大阪行きの飛行機で大阪泊まり、28日早朝、船で小豆島に向かうということになった。1月17日の、あの忌まわしい神戸大震災の直後である。 鉄道、新幹線が動いていなかったからである。
テストパイロットは、坂手港から公演会場である土庄中央公民館とは小豆島の東の端と西の端、車で40分はかかる。同行のスタッフのためにビジネスホテルのマイクロバス、長旅で疲れているであろう杉村さんのために、役場のカローラを用意したのであったが、杉村さんは、「テストパイロットさん、わたしを別扱いにしないでくださいね」と言って、さっさとマイクロバスに乗り込んだのであった。
民藝の人たちは、顔見知りであり、気心しれた仲であったため、樫山さんをはじめとして別扱いはしなかったが、しかし相手は天下の大女優、それも飛行機、大阪泊、早朝からの船を乗り継いでの日程である。まして杉村さんは相当のご高齢、疲れていて当然なのに・・・
これだけではなかった。テストパイロットが杉村さんより学んだことは・・・