忘れ得ぬ人 杉村春子さん ②

「杉村先生と呼ばないでください・・・」
 
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 杉村さんは、休む暇無く会場である公民館に入り、公演活動を支えるボランティアの婦人会の会員が作った讃岐うどんや小豆島特産の手延べソーメンを昼食として食べてくれた。
 お金がないため、婦人会をはじめとしたいろいろな人々が、仕出屋の弁当ではなく、昼食として温かいうどんやおにぎり、手延べソーメンを持ち寄り、「お接待」をしてくれた。
 杉村春子さんのことを、テストパイロットが、「杉村先生」と呼んでいると、杉村さんは、「テストパイロットさん、わたしのことを杉村先生と呼ばないでください・・・」と言われた。
 それ以来、わたしは、「杉村さん」と呼ぶようにした。
 
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 杉村先生の白熱した演技と、歴史有る文学座の舞台は、普段舞台芸術と接する事の少ない小豆島のお客さんを堪能させた。
 わたしがここで心打たれたのは、舞台はもとより、舞台の準備が終わり、開幕前に、杉村さんが、大道具、小道具、照明、音響、製作などの裏方、スタッフ一人ひとりに、「よろしくお願いします」と頭を下げて回ったということである。
 舞台は、華やかなスポットを浴びる役者に、ともすれば目がいきがちである。しかし、舞台、芝居というものは、役者だけで成り立っているものではない。わたしたち見物、観客が、見たい、見せていただきたいという思いと、演じる側、役者が、見せたい、見ていただきたいという思いが一つになったとき、はじめて本当の舞台、芝居が生まれるのだと思った。と、それとともに、舞台を、芝居を支える裏方、スタッフの思い、意気込みがなければならない。だからこそ、芝居が総合芸術と呼ばれる由縁であろう。
 杉村さんの、裏方、スタッフ一人一人に頭を下げていた姿を見て、テストパイロットは、そう思った・・・
 
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 芝居が無事終わった翌日、大道具、小道具の搬入、切符きり、駐車場の誘導、会場整理など、ボランティアとして参加していただいた小豆島の人と会費3000円で懇親会を催した。
 写真は、若い頃杉村さんのお宅で女中をしていた「セッチャン」、今は小豆島でソーメンを作っている人のスピーチである。