忘れ得ぬ人 杉村春子さん ③

忘れ得ぬ人 杉村春子さん ③
 
 文学座小豆島土庄公演も無事終わった。島を離れるまで時間があるので、杉村さんと文学座の皆さんを国指定重要有形民俗文化財である『肥土山の農村歌舞伎舞台』と、孤高の俳人尾崎放哉終焉の地である『小豆島尾崎放哉記念館』の案内を計画していた。
 3月に入ったといえども気温は低い。文学座の制作と杉村さんの付き人から、「杉村さんは疲れています。船に乗るまでホテルで休ませてあげたい。農村歌舞伎の見学は、見合わせてほしい」と言ってきた。
 島の山間部にある舞台である。風邪でもひいたら・・・テストパイロットは納得した。
 しかし、杉村さんは農村歌舞伎の舞台に向かうマイクロバスに乗り込もうとした。
 付き人と制作が制止しようとすると
 「これは前からの約束でしょう。行かなければならないわ」
 こう言ってバスの座席に座った。
 
 
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 『肥土山の農村歌舞伎舞台』を見学した杉村さんは、テストパイロットに言った。
「一年の内でたった一日、それも何時間かの自分たちのお芝居のためにこのような舞台を維持している。ここの人たちは本当にお芝居がすきなのですね。うらやましい・・・いつかここでお芝居をやってみたい」 
 
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『小豆島尾崎放哉記念館』を訪れた杉村春子さん。
 
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 坂手港で大阪天保山行きの船を待つ間、子どもの好きな杉村さんは、「お雛様」の唄を一緒に歌っていた・・・
 気さくな、やさしい、そして仕事には厳しい人であった、杉村春子さんは・・・
 芝居を見物してくれる人がいるからこそ、自分たちは暮らしていける。劇団を維持していくためにテレビや映画に出るが、一期一会の舞台に命をかける。
 
 今の世の中、このような人、役者が少なくなった・・・ 
 
 杉村さんは、下働きで芝居を観ていないテストパイロットを覚えておいてくれたらしく、その年の秋10月、岡山の市民劇場で催された「華岡青州の妻」という芝居に招待してくれた。