ぼんくら指揮官、すぐれた指揮官・・・

ぼんくら指揮官、すぐれた指揮官・・・
 
 大正12年9月1日(土曜日)午前11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の関東地震で帝都東京は壊滅的な被害を受けた。
 時の総理大臣加藤友三郎は、震災の8日前の8月24日、首相在任のまま大腸ガンの悪化で青山南町の私邸で臨終を迎えていた。そのため、外相内田康哉内閣総理大臣を臨時兼任したものの、その8日後に関東大震災が発生し、日本は「首相不在」という異常事態の中でこの大災害を迎えることとなったのである。
 黄海での演習を終えて大連沖で停泊していた連合艦隊は、関東で大地震発生との緊急電報を受けると、連合艦隊司令長官鈴木貫太郎大将は麾下の全艦船にたいして、「即時単艦発航、途中寄港先ニテ災害地救援物資ヲ積ミ東京ヘ急行セヨ」という命令を下しました。
 これは、駆逐艦巡洋艦など速力の出る軍艦は艦長の判断で一刻も早く東京に向かえという命令です。
 連合艦隊旗艦「長門」もまた26.5ノットの全速力で一路東京へ向かうのですが、この時イギリス海軍巡洋艦プリマス」が「長門」の後をピッタリつけてきました。
 イギリスの巡洋艦プリマス」も被災者救助のため東京を目指していたのです。 
 当時、戦艦「長門」は、連合艦隊第一艦隊第一戦隊の主力戦艦で四十センチ主砲八門を装備し、姉妹艦「陸奥」、アメリカの「コロラド」、「メリーランド」、「ウエスト・バージニア」、イギリスの「ネルソン」、「ロドネー」などとともに、世界の七大戦艦・ビッグセブンと謳われていました。
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 長門の26.5ノットの最大速力は最高軍事機密でしたが、長門に座乗する連合艦隊司令長官鈴木貫太郎大将に全速力を命じ、東京湾へと直行しました。そのため長門を追尾するイギリスの巡洋艦プリマス」によって、長門の全速力が世界中に明るみとなってしまいました。
 最高軍事機密である長門の全速力が世界中に明るみとなっても大地震で壊滅状態になっている東京へ向かう・・・全速力を命じた連合艦隊鈴木貫太郎大将は、二・二・六事件で陸軍の青年将校に襲われ瀕死の重傷を負います。さらに終戦時には降伏をしたということで自宅を焼き打ちされます。
 途中、寄港して救援物資を満載した連合艦隊の艦艇は、物資、被災者の輸送に携わります。
 横浜が大打撃をうけたため帰国を願う中国人を輸送したのも海軍の輸送船でした。このため対華21ケ条条約で排日排貨の嵐が吹き荒れていた中国上海において、日本から中国人を乗せた海軍の輸送船が埠頭に着く度に、「リーベン、ワンソイ(日本万歳)」の声が流れたほどでした。
 
 この話を職場の同僚にしたところ、「今は昔と違って自衛隊は、阪神淡路大震災の時がそうだったように、法律があって、総理大臣の命令がなければ動くことはできない」と言われました。
 アホなテストパイロットが、「法律は人間が作ったものやないか、地震津波が待ってくれるかい。自然は赤ん坊でも年寄りでも容赦せんぞ。何万人いう人が亡くなったり行方不明になっとんやぞ。避難所に水が、医薬品が、食べる物が無いいうとる。飛行機からパラシュートを付けて落としたらええいんや。ヘリコプターは着陸できるど」と言いますと、「お前はいつもむちゃくちゃ言うなあ」と相手にされませんでした。
 
 希代のテストパイロットであった森川勲氏は、晩年こう述懐している。
「私が水上飛行機を好きなのは、水上飛行機は海が飛行場となるからです。子どもの頃、大きな怪我や病気をした者は船で岡山や高松の病院に運ばれていました。私の朋輩も怪我をして漁船で高松の病院に運ばれましたが、手遅れで死んでしまいました。水上飛行機なら小豆島から高松まで十分とかかりません。高松の港に着水して救急車で病院に運ぶことが出来れば、手遅れにならなくて助かったかもしれません。日本は国土は狭いながらも回りを海に囲まれている国です。もっともっと水上飛行機を使えばいいと思います。瀬戸内海などは小さな水上飛行機を、太平洋や日本海などを飛ぶ場合は二式大艇のような大きな飛行艇を使えばいいと思います・・・水上飛行機は戦争に使われるものではありません。遭難した船や離島の病人を助けるのに使われるのがいいと思います。アメリカ軍は九七式大艇のことを「メービス」、二式大艇のことを「エミリー」と呼んでいたそうですが、その名の通り九七や二式はやさしい姿をしています。飛行艇はみなそうです。若い頃私は飛行艇で内南洋の島々を飛ぶパイロットになろうかなと思ったことがありました。戦争が終わって小豆島に帰ってきて小豊島分教場の代用教員をしていましたが、水上飛行機で怪我人や急病人を運ぶ仕事があれば、そのような仕事につきたいと思っていました」
 
 加藤友三郎首相の急逝という指導者不在で迎えた関東大震災菅直人という首相で迎えた東北大震災・・・ぼんくら指揮官、すぐれた指揮官で、こうも違うものかと思わざるを得ない・・・