二年に一度の小豆島地引き網・その弐

二年に一度の小豆島地引き網・その弐
 
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それ、やっとくれ、ソレ引け、ヤレ引けのかけ声を発しながら網を引きます。
 
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地曳き網が引かれ海岸に近づくにつれて網を絞って行きます。
 
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地曳き網の先端の、魚の入った袋が徐々に絞られていきます。
 
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大漁です。子ども達の間から歓声が上がりました。
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大蛸が入っていました。この蛸は、明日の蛸メシの具材になります
 
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タコ、赤エイ、ボラ、スズキ、コノシロが見えます。
 
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子ども達の歓声が上がる度に、遠くで見ていた父兄も駆けつけました。
 
 ふと気がつくと防波堤からお年寄りが地曳き網を懐かしそうに眺めていました。
 かつては、地曳き網を見ているだけのお年寄り、母親に抱かれた乳児など、地区の一人ひとりに、せめて晩のおかずにと魚を分配したそうです。瀬戸内海から地曳き網が行われなくなった昭和30年中頃までは、生活は貧しいけれども、互いに助け合うという心根の優しい日本人がいたのです。
 今回の地曳き網、漁師さんがボランティアとして9人、舟を二艘出してくれました。前日、沖へ行ったにもかかわらず、津山と土庄の子どものためと寝ないで参加してくれました。一人でも多くの子どもたちが、地曳き網を経験してほしいと願うテストパイロットであります。
 
 
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 大タコじゃー、生きた大タコをはじめて見た子どもたちは、怖怖と腰が引けている。
 
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ボラやコノシロなどとは別にした、鯛に黒鯛、鱸、カワハギ、エイなど。
 
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 漁師さんもびっくりの、巨大なハリイカ、さっそく刺身にして食べました。しかし、アルコールは御法度、麦茶で頂きました。キンキンに冷やしたビール、飲みたかったですが、そこはぐっと我慢、つらい・・・
 翌日、津山の皆さんが作ってくれた「津山ホルモンうどん」に、このハリイカの切り身を入れたところ、一同「ウマイー」と唸りました。
 
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地曳き網の終わった子どもたちのために、カヌーを用意しました。
 
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 海のない岡山県津山市の子ども達、今日の地曳き網、いい思い出になってくれたと思います・・・
 北浦漁協の漁師さんをはじめとしたボランティアさん、土庄町、津山市スポーツ少年団の指導者、育成者の皆さん、ありがとうございました。
 二年後の地曳き網、よろしくお願いします。