「師を乗りこえてはじめて弟子となる」

「師を乗りこえてはじめて弟子となる」
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                          劇団民藝にて宇野重吉氏と内田義彦先生  1982年  
                                         内田義彦著作集第7巻
 
 大学卒業して久しぶりに上京したわたしが目黒区鷹番の内田義彦先生のお宅で四方山話をしていたときのこと、
「ところで先生のお弟子さんは誰ですか」
 ふと、以前から疑問に思っていたことを話の合間に口に出した。
 内田先生は経済学者で社会思想史家でありながら、大学時代はもとより、それまで経済学者の名前を聞いたことがほとんどなかったからである。
 それは、内田先生の書斎が物語っていた。
 内田先生の八畳ほどの書斎は、経済学者なのに、経済学関係の本などなく、タンノイの巨大なスピーカー、クォードのアンプという下手なオーディオマニア顔負けのステレオが鎮座しているのをのぞけば、天井までの作り付けの本棚には、お気に入りのレコードと奈良六大寺大観などの写真集、野間宏さんをはじめとして交友のある小説家や木下順二さんなど演劇関係の本屋資料がぎっしりとつまっていた。
 ソファーに身を沈め、それまでおだやかな笑みを浮かべながらわたしの話を聞いていた内田先生だったが、すっとソファーから身を乗り出して、
「弟子はね、師を乗りこえてはじめて弟子となります。師を乗りこえられないような者は弟子ではありません」
 思いもかけない禅問答のような内田先生の言葉と射貫くような目差しにたじろぎ、あんぐりと口を開けて先生の顔を見つめているわたしに、
「だから木下(順二)君も山本(安英)さんにも弟子はいないでしょう・・・宇野(重吉)君もそうです」
 と言った。
「でも丸山眞男先生には東大の石田雄先生をはじめとして藤田省三先生、福田歓一先生など多くのお弟子さんがいて、有名な丸山学派というものがありますが」
 わたしが、たずねると
「一般的にはね、そうです。でもね、丸山君に弟子はいません。弟子は、師を乗りこえなければね・・・」
 いつものように笑みを浮かべながら言った。
 
 このごろ、30年近く前に内田先生から言われた、「弟子はね、師を乗りこえてはじめて弟子となります。師を乗りこえられないような者は弟子ではありません」という言葉と射貫くような目差しをよく思い出す。
 いつの間にか、物わかりのいい、やさしい父親に、職場ではやる気のない無責任な上司になっている、と心のどこかで思っているからか・・・