「あっ、カバさんやぁー」・・・お久しぶり!!

お久しぶり、「カバさんやぁー」!!
 
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 土庄町の町広報をなにげなく見ていると、テストパイロットが小学生の頃、近所で小さな接骨院をしていた岡野好太郎さんこと、「カバさん」がとりあげられていた。
 骨接ぎの岡野さんは、「柔道の強い人」とよばれていましたが、その姿形から近所の小学生からは、「カバさん」とよばれていました。
 学校から帰って来るころ、岡野さんは接骨院を閉めて土庄高校へ柔道の指導に行っていました。夏はよれよれの浴衣、冬は柔道着のような刺し子の上着を着てステッキをつき、ゆらりゆらりと歩いているユーモラスな岡野さんを見かけると、小学生は「カバさんやぁー」とはやし立てながらまとわりつきました。
 しかし、いつの間にか、カバさんはいなくなっていました・・・
 
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晩年、名古屋大学柔道部師範時代のカバさんこと岡野好太郎十段
 
 テストパイロットが教育委員会へ行き、二村先生の講演会のことを聞くと、今は亡き岡野先生のプロフィールをくれた。
 
              岡野好太郎(おかのよしたろう)
 
講道館柔道十段の岡野好太郎先生は、明治18年4月24日、小豆島土庄村144番戸において父・松助、母・スカの長男として生まれました。39年3月、講道館入門。武術教員養成所第一期生時代、あの姿三四郎のモデルとなった西郷四郎から激励され柔道修行に励み、40年、41年、43年と武徳会本部個人選抜大会において優勝しました。武徳会本部柔術部助手を経て柔道師範として香川県警察部、武徳会香川支部香川県師範学校香川県工芸学校、高松商業学校などで指導。42年正月の講道館月次試合で、四天王の一人で最強をもってなる徳三宝と白熱の試合をしました。44年9月、講道館嘉納治五郎の推挙で第六高等学校(現・岡山大学)柔道師範に就任。岡山県警察部、武徳会岡山支部、岡山医学専門学校、関西中学、中學岡山校、矢掛中学などで指導しました。この間、大正5年、9年の武徳会一般大会において優勝しました。9年7月、第八高等学校(現・名古屋大学)柔道師範に転任。愛知県警察部、名古屋高等商業学校、武徳会愛知支部、愛知県第一中学、熱田中学などで指導しました。
戦後、故郷土庄町に帰り、接骨業を営むかたわら昭和22年1月より土庄公民館講師として順道館道場や土庄高校で青少年に柔道を教えました。36年10月、名古屋大学柔道部師範に招聘されて就任。42年6月2日死去。十段拝受、講道館殿堂入りしました。享年83歳。
岡野好太郎先生といえば、「日本一の寝技の岡野」と有名ですが、岡野先生の柔道は恩師永岡秀一十段の、「相手が立技できたら立技で、寝技できたら寝技で立ち合う」を継承したオールラウンドなものでした。著書の『学生柔道の伝統』は、明治、大正、昭和の三代にわたる学生柔道の歴史を書き残したもので、今も高く評価されています。
講道館柔道殿堂の一人であります岡野好太郎先生は、小豆島土庄町の誇りであります。
 
 
あの、小学生の頃に親しんでいた、懐かしのカバさんの話しが聞ける、ぜひ9月4日の講演会へ行こうと思ったテストパイロットです。
 
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