東シナ海から那覇空港へ着陸!!

東シナ海から那覇空港へ着陸!!

東シナ海から那覇空港へ着陸のムービーです!!


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  那覇空港(なはくうこう、Naha Airport)は沖縄県那覇市にある空港施設である。利用者数は日本国内の空港では東京国際空港羽田空港)、成田国際空港新千歳空港福岡空港関西国際空港に次いで第6位(2013年度、うち国内線旅客数では第4位)の沖縄地域のハブ空港であり、国内幹線空港の一つでもある。空港法第4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分されている。空港を含む施設は太平洋戦争後のアメリカ軍占領下を経て那覇飛行場(Naha Airfield) となり、返還後は航空自衛隊の飛行場や民間空港として利用され、航空自衛隊那覇基地(JASDF Naha Air Base) 管理下の施設では、各官公庁の航空諸施設が併設されている。基地の総面積は約212万m²(64万坪)である。

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 前身は1933年昭和8年)8月に建設された旧海軍の軍用飛行場、小禄飛行場小禄海軍飛行場・海軍小禄飛行場)である。その一方で1936年昭和11年)3月には軍民共用飛行場として、日本航空輸送内地台湾航空路の経由地点たる那覇飛行場として、台北飛行場とともに開港している(逓信省航空局管理)。しかしながら太平洋戦争大東亜戦争)中には完全軍用飛行場として施設全体は旧海軍に接収され、飛行場も拡張されている。

1945年(昭和20年)の日本の敗戦以降、1972年(昭和47年)の復帰前までは沖縄を占領下に置いた連合国軍のひとつであるアメリカ軍に管理されていた。沖縄の復帰に伴い日本に施設などが返還された。10年後の1982年(昭和57年)、飛行場の施設管理権が航空自衛隊に全面移管された。現在では民間航空便の空港と航空自衛隊海上自衛隊陸上自衛隊の航空機を主体する部隊や行政組織沖縄県警航空隊海上保安庁航空基地が飛行場内に置かれている。
航空自衛隊対領空侵犯措置任務及びその訓練を行う戦闘機の離着陸に関する飛行場管制を国土交通省所属の航空管制官が担当するのは、全国に7箇所ある当該任務の飛行隊配置飛行場のうちでも那覇飛行場(那覇空港)のみであり、他6飛行場においては航空自衛官航空管制官が担当している。
2010年3月31日に沖縄進入管制区が廃止され那覇進入管制区が新設されたことにより、沖縄島周辺空域のターミナルレーダー管制業務は国土交通省航空管制官によって行われる。管制室は那覇航空交通管制部ビルに設置されている。米軍機の飛行の調整のため、米空軍所属の管制官那覇空港事務所に常駐することとなり、那覇空港事務所ビルに新たに米空軍提供施設が設けられた。嘉手納飛行場那覇飛行場は、航空機進入経路が交差しており、飛行高度の管理では嘉手納飛行場が優先される(詳しくは嘉手納飛行場管制を参照)。
民間利用分としては国内線ターミナル、国際線ターミナルLCC・貨物ターミナルの3つのターミナルがある。県内の離島、本土、海外を合わせて30以上の路線が就航している。
まれに当空港周辺が悪天候などの理由で、民間旅客機が一時的に嘉手納飛行場に着陸する事がある。しかしその時は乗客は機内から出ることはできず、天候の回復や燃料の補給を待って那覇空港へ向けて再び離陸する。これは嘉手納飛行場内に航空旅客施設が不足しているためであり、外国領土扱いだからではない。
滑走路は3000m×45mの1本である。1日300回以上の離着陸があり、年間の発着回数では東京国際空港成田国際空港福岡空港に次いで第4位(2010年度)となっている。需要予測では今後10年以内に旅客増加に対応できなくなると予想されている。
また、夏季を中心とした繁忙期は、日本航空全日空などの大手航空会社を中心に臨時便が多い。そのため駐機スポットの数が逼迫し、タクシーウェイ上で着陸機が待たされるケースも多く見られることから、ターミナルの再拡充とスポットの増設を求める声がある。
県都である那覇市の中心地からはモノレールやバス、タクシーなどで10分程度と比較的立地条件が良い。ただし、沖縄本島の南北に細長い地形を考えると、南部地域にある同空港は北部地域の利用者にとっては不便である。北部の中心都市である名護市と空港を結ぶ公共交通は1時間半以上かかる高速バス、または2時間以上かかる一般道経由の路線バスしか存在しない。
年間利用客数は、国内15,170,115人、国際869,710人(2013年度)[1]
また、日本トランスオーシャン航空琉球エアーコミューターが当空港を拠点としている。

B747の国内線旅客運用と密接にあった空港[編集]

日本の大手2社(ANAJAL)がB747を運航させていたが、1972年8月1日にJALが日本の国内線に同型機(当時は、B747在来型)を初就航(路線は羽田那覇、その後新千歳⇔那覇)させ、2014年3月31日にANAが国内線旅客運航便としての運航(路線は前に同じ、機材はB747-400D)を終えた。同型機は実に42年近くにわたって運航されていたが、沖縄県と本土を行き来するための重要な移動手段としての役割を担っていた。国内線でのB747の運航はまさに「羽田⇔那覇」に始まり「羽田⇔那覇」に終わることとなり、B747那覇空港と密接な関係にあった。

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