私はこの21日で64歳となった・・・

私はこの21日で64歳となった・・・
   
 小中高と学校で、そして大学で、なにを教わり、なにを学んだのだろうか・・・終生の師と仰ぐ恩師内田義彦先生からゼミナールで教わった経済学や社会思想史について、今はまるっきりと言っていいほど思い出すことはできない。しかし、先生が何かの折に話した道草のような雑談だけは、不思議なことに今も鮮明に覚えている。
 その一つが、トルストイの『三人の隠者』というロシアの民話を内田先生が話してくれたことである。
 なぜ、内田先生が『三人の隠者』の話をしてくれたのかは覚えてはいないが、内田先生の温容な顔と話しの内容は、今もあざやかに思い出す。

トルストイの『三人の隠者』
バイカル湖だったか、そこを都の高徳の僧正が船で旅をしていました。乗客の会話か近くの島に三人の隠者がいて行を積んでいるということを知りました。高徳の僧正は、その三人の隠者に会いたくなり船頭に頼んで島へと渡りました。島では、一人は背が高く、一人はふつう、一人は背の低い三人の隠者が何やらわけのわからないことを唱えながら神に祈っていました。
 高徳の僧正は、三人の隠者に正しい神への祈りの言葉を教えました。しかし、三人の隠者は物覚えが悪く、何度も何度も教えなければなりませんでした。ようやく三人の隠者が神への正しい祈りの言葉が言えるようになったころはもう薄暗くなっていました。高徳の僧正が船にもどるとすぐに出港しました。小さくなっていく島をながめながら、高徳の僧正は神が自分を導き三人の隠者に正しい神の祈りの言葉を教えたと喜んでいました。
 すると暗い夜の海に彼方、三人の隠者のいた島の方からから白くキラキラと光るものが船に近づいてくるのに気づきました。高徳の僧正は、最初はなんだろうといぶかしげに見ていましたが、そのキラキラと光るものは三人の隠者で、ものすごい勢いで海の上を滑るように近づいてきて、船端にたたずむ高徳の僧正に、「神様のしもべよ、私たちはあなたに教えてもらった正しい祈りを忘れてしまいました。どうか、もう一度教えてください」と言いました。これを聞いた高徳の僧正は十字を切り、「信心深い隠者たちよ、あなた方の祈りはもう神にとどいています。あなた方に教えるのは私ではありません。あなた方こそ、私たち罪人のために祈って下さい」と言い深々と頭を下げました。
 これを聞くと三人の隠者は海の上をもと来た島の方へ去っていきました。そして、隠者たちが去った方からは、朝になるまで、ひとつの光が見えていたということです。
 岩波文庫に中村白葉先生が訳した『イワンのばか』というのがあります。それに三人の隠者の話が入っていますので読んでみてください。亡くなる前にトルストイは、自分の全作品を捨てても民話だけは残してくれと言ったそうです」
イメージ 1

 岩波文庫を読んでみると、内田先生の話しの細部は原文とは異なることが見受けられた。が、本を読むという書き言葉ではなく、内田先生の話し言葉による、高徳の僧正や白くキラキラと光るものは三人の隠者で、ものすごい勢いで海の上を滑るように近づいてくるというところなどの迫力は、今も眼前にありありと浮かぶ。
 内田義彦先生は文学部の先生ではない。経済学者で社会思想史家である。ただ、ゼミナールや内田先生のお宅で話しをしているとき、このような道草といえるような話しをよくしてくれた。
 わたしはその後四十数年の間、どうしてだかわからないが、内田先生の話された、この『三人の隠者』の話を思い出す時がある。

イメージ 2
                      内田義彦先生と友人の宇野重吉さん

              ブログ村ランキングに参加しています。
クリックしていただくと他の小豆島のブログ・情報がご覧になれます。
どうか皆さん、ポチッとクリックをお願い致します!! 
             https://localshikoku.blogmura.com/shodoshima/