釵頭鳳 陸游(1125~1210)

                         
  釵頭鳳       陸游(1125~1210)
 
 紅酥手  黄藤酒      紅酥の手    黄縢の酒
 満城春色宮墻柳      満城の春色 宮墻の柳
 東風悪    歓情薄      東風は悪しく 歓情は薄し
 一懐愁緒           一懐の愁
 幾年離索           幾年か離索せし
 錯錯錯             錯 錯 錯

 春如旧    人空痩       春は旧の如く 人は空しく痩せ
 淚痕紅浥蛟綃透       淚痕 紅に浥うて 蛟綃透る
 桃花落   閑池閣       桃花落ち  池閣 閑なり
 山盟雖在            山盟は在りと雖も
 錦書難託            錦書 託し難し
 莫莫莫             
莫 莫 莫

 南宋の詩人、陸游の『釵頭鳳(さとうほう)』という詩で、陸游憂国の詩人として有名であるが、この詩は陸遊30才の、相思相愛ながら別れなければならなかった悲恋の詩である。
 陸遊は20歳で唐という親戚の女性と結婚した。唐は、陸遊の母親とは姪という間柄で、母親の希望で妻としたのであったが、陸遊の母は、血がつながっている、息子とは仲むつまじい唐であったにもかかわらず、唐を気に入らず、嫁姑の軋轢を理由に陸遊に離縁を迫った。
 封建礼教の時代、親の命令は絶対であった。結婚を決めるのも親ならば、離婚を決めるのも親であった。
 陸遊は泣く泣く愛妻唐を離縁し、数年後二度目の妻、王という女性をむかえた。唐もまた、趙士程という男と再婚、二人はそれぞれに子どもをもうけ、平穏な生活をおくっていた。
 10年の年月が流れた春のある日、花見に訪れた紹興の沈園で、陸遊は唐と偶然再会した。唐は、夫と一緒だった。二人目の夫であった趙士程は、やさしく度量の広い夫であったのであろう、唐fは夫の許しを得ると陸遊に一樽の酒を贈った。その時、陸遊が沈園の壁に書いたのが、この『釵頭鳳』である。
 
 それから40数年後の春、沈園を訪れた陸游の胸底には、なお唐の面影が燃え立っていた。陸游『沈園』という詩を作り、未だ忘れ得ぬ唐を思慕したのである。
 
 
 沈園   陸游75歳の作 

 城上斜陽画角哀    城上の斜陽 画角哀し
 沈園非復旧池台    沈園 復た旧き池台に非らず
 傷心橋下春波緑    傷心す 橋下 春波緑なるに
 曾是驚鴻照影来    曾つて是れ 驚鴻 影を照らし来たれり
 

  陸游は、その生涯において三万首といわれる膨大な作品を残し、憂国詩人、田園詩人とよばれているが、情愛詩人でもあった。
夢は絶え香りは消えて四十年・・・
 親の言いつけで、生木を引き裂かれるようにして別れなければならなかった愛妻唐を、陸游は75歳になっても、思慕していたのである。 
 テストパイロットは、いつの日かこの悲恋の物語を一冊の本としてみたいと思っている・・・   
                                             
NHK『漢詩紀行』、『一海知義漢詩道場』参照。