小豆島の春を待ち焦がれていた尾崎放哉

小豆島の春を待ち焦がれていた尾崎放哉
 
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 4月7日は、自由律俳句の俳人種田山頭火と並ぶ尾崎放哉の命日、小豆島尾崎放哉記念館では毎年、放哉忌を催しています。
 記念館の裏庭の桜が満開でした。
 
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 放哉の代表作のひとつで、「いれものがない 両手でうける」の句碑、自由律俳句の盟友であった荻原井泉水が放哉を偲んで建てたものです。
 
 
 尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)、1885年明治18年1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本俳人種田山頭火らとならぶ自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。
 小豆島尾崎放哉記念館(しょうどしまおざきほうさいきねんかん)は、香川県小豆郡土庄町にある土庄町立の文学館
 
春の山のうしろから烟が出だした(放哉辞世の句)