明日4月7日は、小豆島で『放哉忌』が営まれます。

明日4月7日は、小豆島で『放哉忌』が営まれます。

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 明日、『放哉忌』を迎える小豆島尾崎放哉記念館です。満開の桃の花の下、リンがうろうろと(笑み)

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放哉記念館の裏庭の桜、花が散り始めていました。

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この井戸と手押しポンプは現役で使われています。

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尾崎 放哉
(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)

 明治18年1月20日 - 大正15年4月7日は、「層雲」の荻原井泉水に師事。種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。鳥取県出身出身。東京帝国大学法科大学を卒業後、東洋生命保険(現:朝日生命保険)に就職し、大阪支店次長を務めるなど、出世コースを進み、豪奢な生活を送っていたエリートでありながら、突然、それまでの生活を捨て、無所有を信条とする一燈園に入所。その後、寺男で糊口(ここう)をしのぎながら、最後は小豆島の庵寺で極貧の中、ただひたすら自然と一体となる安住の日を待ちながら、俳句を作る人生を送った。クセのある性格から周囲とのトラブルも多かったが、その自由で力強い自由律俳句は高い評価を得、代表的な句に、「咳をしても一人」などがある。終焉の地である小豆島土庄町に尾崎放哉記念館あり、西光寺墓所内に放哉の墓がある。
                                 ウィキペディア参照

「咳(せき)をしても一人」などの句で知られる自由律の俳人、尾崎放哉(ほうさい)(1885~1926年)の命日にあたる7日、土庄町にある放哉ゆかりの寺、小豆島八十八カ所霊場五十八番札所西光寺で放哉忌が営まれます。

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