「私の恩師内田義彦先生は、日本一の先生です」

閑話
「私の恩師内田義彦先生は、日本一の先生です」

 3月といえば卒業式、今から42年前の昭和52年3月、私は専修大学の卒業式を迎えた。日本武道館での卒業式の後、恩師内田義彦先生と渋谷のレストランへ、内田先生とシチューを食べた後、目黒区鷹番の内田先生のお宅に向かった。応接間でくつろいでいると、今日はお祝いだからとその頃、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」というCMで一世を風靡したキリンのウィスキーを頂いた。少し酔った私が、「芸術は、爆発だ」と言うと、内田先生は、「太郎にね、縄文土器のすばらしさを教えたのは私です」と言った。「えっ、あの岡本太郎にですか」とビックリして言うと、内田先生は岡本太郎との交遊を話してくれた。昼間のウィスキーでほろ酔い機嫌で内田先生のお宅を辞するとき、玄関口で内田先生は、「君はこれから社会に出て行きます。なにかの時に君が内田義彦に教えてもらったと言ったとき、ああ、あの内田に教えてもらったのかと君が笑われないようにがんばります」と言ってくれました。
 私は、小豆島に帰り町役場に奉職しました。配属されたのは社会教育課でしたので、仕事柄小豆島を訪れる大学の先生や大学生とふれあう機会が多くありました。大学生と話しをしている時に私は、「君たちは自分の先生を日本一の先生だと胸をはって言えますか、私は言えます。私の恩師内田義彦先生は、日本一の先生です」と言っては学生達に笑われました。内田先生は、知る人ぞ知る先生なので、学生達が知らないのは無理もありません。小豆島においても、これまで誰一人として内田先生の名前を知る人はいません。しかし、私は内田先生のされた学者としての業績と人格は、まさしく日本一の先生だと今も思っています。
 息子が大学に進学するとき、「大学に行ったら、ぼくも内田先生のような人に出会いたい」と言ってくれました。
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