大師市、綿あめ五十年の夢

大師市、綿あめ五十年の夢

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弘法大師の命日である旧暦3月21日に、小豆島八十八カ所霊場第57番札所である西光寺の当時の住職、三好深玄氏と檀家総代の方々がお大師さんの徳をしのんで始められたこの大師市です。
現在でも西光寺のお膝元、土庄町の迷路のまち周辺にて春の始まりを告げる大師市が毎年4月21日に、また年納めの霜月大師市が毎年12月21日に行われています。
西光寺は、自由律俳句の尾崎放哉を奥の院である南郷庵に迎えてその生涯を終えるまで庇護したお寺である。

プロローグ
大師市という言葉を聞くと、いくつになっても、半ズボンのポケットに右手を突っこみ、幾枚かの十円玉を握りしめながら大師市の人ごみを歩く小学生時代の自分を思い出す・・・

大師市、綿あめ五十年の夢 
 
「じいちゃん、大師市や、きょう、大師市」
弟とともに、祖父の住む本家の離れの引き戸をガラガラと威勢よくあけて声をかけると、祖父が顔をみせ、
「ほうか、今日は大師市か・・・」
祖父は、釣針やテグス、網をなおす竹の針などが入った小さな箪笥の引き出しから小銭をとりだして、
「ほら、ふたりでわけえ」
と言いながらわたしてくれた。
「じいちゃん、ありがと」
こう言いながら離れから走り出ると、
「兄ちゃん、じいちゃんから、なんぼもろたん」
あとを追いかけてきた弟が不安げな顔でたずねてきた。
「六十円や、ほやからお前とで三十円ずつや」
「ほしたら、かあちゃんからもろた三十円とで六十円やなぁー」
弟の顔が、ぱっと明るくなった。
強欲な兄にしてはめずらしく、祖父からもらった小遣いを折半したからである。
そのころ、那須のキャンデ屋の四つ玉バクダンが五円、あんぱんが十五円だった。
昭和三十年代の春と冬の大師市は、秋の太鼓祭りとともに小学生の三大イベントであった。とくに、学校が半ドンの土曜日やまるまる一日が休みの日曜日に大師市がおこなわれると大鐸、四海、北浦、大部、豊島はもとより、遠くは池田、内海から家族連れが満員のバスに乗ってやってきていた。
小学生に人気のおもちゃは、今のひよこ食堂の向かいにあった「ろくべ」という店で買うのが定番であったが、大師市では露天商のおもちゃ屋が珍奇なおもちゃを並べて大人気だった。「ダッコちゃん」という空気でふくらませた真っ黒な人型をしたソフトビニール人形が大流行したときなどは、露天商が木の桁に「ダッコちゃん」をぶら下げるそばから黒山の人だかりの大人が奪い合って買っていき、二百円もする「ダッコちゃん」が、あっという間に売り切れになったこともあった・・・
「兄ちゃん、なに買うん。南部のおっさんの飴、買うんか」
「ほれよりお前、お金、落とすなよ」
弟は、あわてて右手を半ズボンのポケットの中に突っこんで六個の十円玉を握りしめた。
西光寺の門前で、いつものように南部のおっさんが、ぺっぺっと唾を付けた手のひらでのばした飴を、ぽんぽんと包丁で切っていた。
通りには、金平糖やキンカ糖、餡入りカステラ、赤や青色したニッキ水やニッキ紙、竹かんてん、砂糖ボンボン、ビー玉や独楽、ヨーヨー売り、金魚すくい、子どもに人気のゴム中、銀玉や紙巻き火薬のピストルを商う屋台が軒を連ねていた。
月光仮面のお面や・・・」
額に金色に輝く三日月、緑色のサングラス以外は顔を白い布で包んでいる月光仮面セルロイドの面を売っている屋台で足が止まった。
(どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている。月光仮面のおじさんは、正義の味方よよい人よ・・・)
 脳裏に、月光仮面の歌が流れてきた。
「おっちゃん、月光仮面の面、なんぼ」
「六十円や、買うんか」
「買う・・・」
ポケットの中で握りしめて汗まみれになっていた全財産の六十円を屋台のおっさんに渡した。
月光仮面の面を額に付けて、得意満面の面持ちで歩き出した。
前から食べたいと思っていた綿あめの屋台の前で足がとまった。
金だらいのようなものの真ん中にザラメを入れると綿糸のようなものが吹き出し、屋台のおっさんが割り箸を差し入れると見る見る大きくなった。
弟は、綿あめを買うと、「半分食べてもええいよ」と言いながらさし出し、
「兄ちゃん、月光仮面の面、僕にも貸してなぁー」
 弟が、おもねるように言った。
綿飴が口の中で烟のように消えると、目の前がすーと暗くなった・・・
 
 
「一時です。課長、起きてください」
声をかけられ、気がつくと中央公民館のソファーであった。
昼飯を食べたら、いつの間にか寝穢く眠ってしまったらしい。
前の晩、高校時代の友人がひさしぶりに帰郷したので遅くまで酒を酌みかわしていたためであった。
よだれをぬぐいながら起き上がり、公民館の外に出て深呼吸をすると、苗木や花を持ったお年寄りや、母親に手を引かれた幼子(おさなご)が歩いていた。
友人が酒杯を傾けながら、「明日は大師市か・・・小学生のころ、お母さんと大師市に行ってなぁー、帰りにふたば食堂でうどんを食べたなぁー」と懐かしそうに言っていたのを思い出した。

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