航空廠飛行実験部での各種試験飛行

飛行実験部で定められている各種試験飛行を習得した森川は、愛知時計電気と三菱で試作された二機の水上観測機(十試観測機)の試験飛行に携わることになった。
海軍において、試作機の計画、審査、制式採用までの過程は、おおむね次のように行われていた。
 一、「計画要求書」ーー試作機の要求性能は主として軍令部、航空本部など中央の関係各部内で「将来戦の様相」、「航空戦略」、「兵備計画」、「現有技術水準」などから勘案されて試作機の要求性能原案が作成される。
 二、「計画要求説明」ーー要求性能計画書にもとづく試作が決定となると、航空廠、横須賀航空隊、試作機製作会社などの関係者が集められ、航空本部が中心となって説明討議が行われる。
 三、「設計、計画説明」ーー試作機製作を受けた会社は、要求性能計画書を研究し設計計画を立て、これを官側に説明する。その場合、官側の要求に対する会社側の所見が具体的に述べられる。
 四、「木型審査」ーー海軍の要求、試作機製作会社の所見が合意に達した場合、会社側は直ちに「木製実物大模型(モックアップ・部分によっては金属製)」を製作する。海軍はその木製実物大模型を審査する。通常は二回程度。
五、「構造審査」ーー木型審査を通ると、会社は試作機第一号を製作する。
 六、「実機の試運転」、社内飛行ーー会社は製作した試作機第一号の試験飛行を、会社の責任において実施(場合により海軍立会い)する。
 七、「飛行実験部のパイロットによる試験飛行」ーー会社のテストパイロットによって試験飛行され、海軍の提示する要求性能を満たしていれば、航空廠飛行実験部のパイロットによる試験飛行が行われ、不具合がなければ領収される。
 八、「飛行実験部による性能試験」ーー飛行実験部は会社から領収した試作機(普通六機から八機)について半年ないし一年にわたり精密な性能試験を行う。その間に実用の可否を判定し、量産の当否を決定する。
九、「実用試験」ーー飛行実験部は試作機を横須賀航空隊に引き渡し、実用、実戦の見地からその可否を判定評価する。
 (「丸」通巻四四五号・元空技廠飛行実験部・海軍中佐小福田租、空技廠『飛行実験部だいありー』外伝より抜粋参考)
海軍は試作機を発注する際、民間航空機製作会社の技術水準の向上と優秀な試作機を設計、製作させるために、「一機種ノ試作ヲ三社、二社、モシクハ一社ニ命ズベキカドウカハ、ソノ機種完成ノ緩急イカント予算ノ状況トヲ考慮シ、機種ゴトニ決定スルコト」を原則とし、通常は二社以上で試作機を競作させる方針をとっていた。
昭和十年三月、海軍は十試観測機の設計、試作を愛知時計電気、三菱重工川西航空機など三社に命じた。川西の試作機は単葉という斬新な機体であったが、翼面荷重の過多により格闘戦性能、最高速度、上昇性能などが海軍の要求性能に達せず早くから脱落した。一方、愛知の試作機は十一年九月に、三菱の試作機は十二年三月に海軍に領収され、航空廠飛行実験部で性能試験が行われていた。
森川が、主として携わることになった愛知の試作機は複葉水陸互換式で、一号機は単フロートの水上機仕様、二号機は主脚と車輪を付けての陸上機仕様であった。飛行機の心臓部ともいうべき発動機は、それまでのタウネンドリング式に比べて空気抵抗が少なく冷却効果の優れたNACA型カウリング装着の中島製「光」一型最大出力八百二十馬力発動機を搭載、二段可変ピッチ式二翅プロペラ、下翼の後縁には昇降舵と連動するフラップ、空気抵抗を軽減する沈頭鋲の採用、機体は全金属製(機体後部はモノコック構造)、複葉主翼と尾翼の構造はドイツのハインケル機を参考とした木骨合板製、羽布の代わりに厚めのベニヤ板、前縁部はセルロイド板張りの矩形翼という斬新な技術が取り入れられ、洗練されたフォルムを誇っていた。
 一方、三菱の試作機も複葉単フロート、発動機は同じく中島製「光」一型を搭載、ジュラルミン製のストリンガー(縦通材)とフレーム、外板自体に強度を持たせる全金属製セミモノコック構造、コックピットの風防は密閉式という引き締まった機体が特長であった。
飛行実験部においての試験飛行の結果、愛知、三菱の両試作機は、速度、上昇力、水上性能などはおおむね海軍の要求性能を満たしていることが確認されたが、三菱の試作機は愛知の試作機と同じ「光」発動機を搭載しながら、最高速度が二十五キロも遅く、また垂直旋回や宙返りを行うと激しい不意自転(オートローテーション・パイロットの意図に反して飛行機が勝手に横転し、そのまま錐もみに入ってしまう極めて危険な現象。飛行機ではもっとも嫌われる癖の一つ)におちいることが判明した。
 これまで弾着観測に使用されていた水上偵察機よりも格闘性能の大幅向上を求められていた弾着観測の専用機として、不意自転は致命的な性癖であった。敵機との格闘戦において不意自転を起こすと、いくら優位に立っていても、あっという間に劣位におちいるばかりでなく、低高度での錐もみは命取りとなるからである。