森川、吹雪の飛行、あわや墜落か

森川もまた、あわや墜落かという事態に遭遇した。
十二月二十日、森川は九〇式二号飛行艇で大連までの飛行を命じられた。
 早朝、佐世保を離水し大連に向かう九〇式二号飛行艇の機長は鈴木由次郎少佐(海兵五十一期)、左側の主操縦席には飛行艇分隊に配属になったばかりの木下守三等航空兵曹、右側の副操縦席に森川が座っていた。
 森川は、年若い木下三空曹に大連までの渡洋飛行を経験させるために、主操縦席を譲っていた。
佐世保の上空は晴れていたが、玄界灘にさしかかると急激に気温が下がるとともに、灰色のどんよりとした雲が増え続け、雲低高度で飛ぶことを強いられた。
 済州島を左翼越しに見ながら朝鮮半島の南西端の海岸まで後四浬ほどのところで、目の前を白い帳がゆらゆらとゆらめきながら垂れ下がりってきた。
日本近海でもっとも霧が発生するのは、朝鮮半島の沿岸と北海道南部周辺の海域であった。
(ミスト(濃霧))
森川は、濃霧だと判断したが、白い帳に突っ込むと、飛行艇は猛烈な吹雪にすっぽりと包み込まれた。
(雪だった・・・)
森川は唇をかんだ。
 飛行中の天候の急変で、もっともやっかいなものが雪であり、その次が霧と雨であった。雪は雨と違い、三舵のヒンジ(蝶番)、特に昇降舵のヒンジを凍結させ、ピッチ・コントロールに影響を及ぼす。「飛行機は雪に弱い」といわれるゆえんである。
 日本海軍が制式採用した初めての全金属製三発大型飛行艇である九〇式二号飛行艇(H3K2)は、それまでの飛行艇の操縦席が前方遮風板一枚の吹きっさらしだったのに対して角張った風房の中にあり、居住性は格段に向上していたが、窓ガラスの外は一面の雪、視界は零に等しかった。
 主操縦席で操縦輪を握る木下三空曹の顔に、おびえの色が走っていた。
 空を飛ぶ飛行機は、船や車と違い、濃霧や吹雪、豪雨に包まれて視界が利かなくなったからといって、立ち止まることは許されない。発動機を停止すれば、即墜落してしまう。視界がゼロでも飛び続けなければならない。しかし、有視界飛行をすることが出来ないまま長時間飛ぶことを余儀なくされたパイロットは、計器が水平飛行の姿勢を示しているにもかかわらず、飛行機の姿勢が徐々に変わり旋回している。あるいは機体が傾き降下している。もっとひどくなると背面飛行しているのではないかと傾斜感覚に異常を来すようになる。また、パイロットの方向感覚では東に向かって飛んでいるはずなのに、航空羅針盤の指針は西を指しているという方向感覚異常におちいる。このように悪天候や漆黒の闇の空を飛ぶ夜間飛行などにおいて、パイロットがもっとも怖れたものが、操縦している飛行機の姿勢や方向などの認識(空間識)を失う「空間識失調(ヴァーティゴ)」であった。
パイロットが空間識失調におちいると、旋回中に旋回角度がずれたように感じ、姿勢を直そうとかえってバンクを深める操作(コリオリスの錯覚)。錐もみから回復操作を行った時、パイロットは反対方向に錐もみをしているように感じ、再びバンクを戻して錐もみに入れてしまう操作(死の錐もみ)。前方に見える雲や山の尾根が水平であると錯覚して水平姿勢を崩してしまう。あるいは夜間飛行中、空の星を地上の灯りと勘違いをして背面姿勢に入れてしまうなどの操作(疑似水平線による錯誤)。夜間飛行で特定の灯りを凝視していると、その灯りがピッ、ピッと動いているように錯覚し、その動きに飛行機の姿勢を合わせようとする操作(自動運動による錯覚)などを行うようになる。
 これら空間識失調を回避するには、インスツルメントパネルの各計器、高度計、速度計、航路計、航空羅針盤、発動機回転計、特に水平儀と旋回傾斜計、航空羅針盤による計器飛行を行い、早め早めに飛行機の姿勢や方向を修正しなければならない。しかし、計器が水平飛行の姿勢を示していても、「計器が狂ったのではないか、飛行機は傾いて旋回しているのではないか」という空間識失調の誘惑が、不安に揺れる心の隙間に忍び込み、飛行練習生の頃より繰り返し「計器を信用せよ」と教え込まれていても、つい計器よりも自分の感覚で操縦しがちになってしまう。飛行機は、姿勢を水平に保っているからこそ飛び続けていられるのである。左右、前後に機体が傾けば、それだけ翼が生み出す揚力が減り失速、修正が利かなくなり、ついには墜落という惨事を引き起こしてしまう。その頃の飛行機事故のほとんどが、パイロットの技量の未熟から来る過失、次が発動機や機体の故障、次いで悪天候によって引き起こされていた。
木下三空曹が、すがりつくような目で森川を見た。
吹雪に視界を奪われ、操縦に自信が持てなくなっていたのである。
(このまま木下に操縦を任せていては・・・)
吹雪や豪雨などにより視界が利かなくなった場合、機位を確認するために、出来る限り高度を下げなければならない。飛行艇分隊に配属になったばかりの木下三空曹にとって、視界が利かないまま高度を下げるということは、一つ間違えは、海に突っ込む怖れがあった。
(もうすぐ朝鮮半島だ)
「操縦を代わる」
森川は、注意深く五十メートルまで高度を下げ、吹雪の海原を、這うように飛んだ。
 森川は、まっ白だった目の前が不意に暗くなったような気がした瞬間、九〇式二号飛行艇を左に旋回させた。
 このような場合、あわてて操縦輪を強く引き、強引に上昇しようとすればたちまち失速してしまう。低空での失速は致命的であった。
 右主翼端フロートの底部すれすれに、黒い島影が流れていった。後一、二秒遅れていれば、島に激突するところであった。
木下三空曹は、血の気の失せた顔を引きつらせていた。