日本遺産認定で話題の石材の島 笠岡諸島の北木島に上陸しました(笑み)

日本遺産認定で話題の石材の島
笠岡諸島北木島に上陸しました(笑み)
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 今夜の宿泊は、北木島で唯一の創業120年の、今では珍しい木造三階建ての「天野屋」さんです。

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 天野屋さんの前は船着き場、瀬戸内海は干満の差が大きく、船の乗り降りに階段状の雁木と呼ばれる階段が付いています。江戸時代から明治時代の中頃まで日本の海運の主流であった北前船は、瀬戸内海の干満を利用して、干潮時に船の船底の整備や修理をして満潮時に出港していたのです。

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鄙びた和室、ええ雰囲気です。

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アルミサッシではなく、木製の窓枠から海が見えます。

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 新鮮な魚の晩飯とお酒を頂き、たちまち爆睡。目をこすりながら朝の散歩にでかけました。瀬戸内の島の穏やかな朝です(笑み)
 東京から来た友人は感嘆していましたが、テストパイロットは小豆島と同じやなぁー・・・と思っただけでした(苦笑)

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かつての賑わいを物語る釣り具屋さん、畳屋さんもあったのですね。

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生け簀料理の旅館も賑わっていたとか・・・

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 テストパイロットのNー1ちゃんです。島では軽トラックと石材のトラックが多く、赤いNー1ちゃんは目立ちました(苦笑)、

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 江戸時代の石切り丁場跡を見ながら北木島に別れを告げて、江戸時代に潮待ち、風待ちの北前船で賑わった倉敷市の下津井に向かいました。

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小さなフェリーが北木島に向かっています。瀬戸内海やなぁー(笑い)

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笠岡港の入り口の狭い瀬戸でフェリーが行き交うのにはビックリしました。

 北木島の人は話し好き、テストパイロットのことを日本遺産の認定の調査員と間違えた人もいました(笑い)。小豆島から来たと言うと、「なにしに小豆島からわざわざ来たのか」と聞かれました。
 元石工であったというお年寄りの、「30年前は、この島も石で景気がよくて7000人ほどいた。九州から出稼ぎの人がたくさん島に来ていた。それは賑やかなものやった。今は700人いるのか、若い者は島から出て行って、こんな年寄りの島になってしまった」と寂しく笑いながら言ってくれたのが心に残りました。
        
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