航空廠飛行実験部でのテストパイロット時代を回想して

森川は、航空廠飛行実験部でのテストパイロット時代を回想して、
「大正時代の飛行機は発動機の馬力が貧弱で、飛び上がることさえ容易ではない飛行機もありましたが、昭和二年にリンドバーグが大西洋を横断して以来、飛行機会社が設計、試作した飛行機は、機体の重量、発動機の馬力、主翼の面積重量のバランスがとれていて必ず飛べるようになっていました。そうは言っても、飛行機は実際に飛ばしてみなければわかりません。初めて空を飛ぶ試作機は不安定で危険なものです。舵が重すぎて静かにしか飛べないとか、軽すぎて空気の力で舵をとられてオーバーバランスになってしまい、テストパイロットがあわてるという試作機も中にはありました。そのような癖があるかどうかを会社のテストパイロットは実際に飛行機を飛ばして調べるのですから危険な仕事でした。水上飛行機の試作機の場合、まず水上滑走の試験を行います。それが終わって初めて空を飛ぶ日になると、設計者はテストパイロットに、離水したら真っ直ぐ飛んでくれと言います。私は安全を考えて二千メートルまでゆっくりと上がって着水の真似事をしました。陸上機の場合、ここで脚の出し入れのテストを行います。次ぎに失速速度を確かめるためにわざと試作機を失速させて、横への倒れ方や昇降舵の利き具合、補助翼での横傾きの修正などを調べます。また、発動機を絞って滑空を行います。なぜこのようなテストをするのかと言いますと、失速の速度をつかんでいれば試験飛行中に突発的な故障が起きたり発動機が止まっても、大切な試作機を壊さずに着水出来るからです。次ぎに試作機を横に傾け、手と足を放してどんな運動をするか、変な癖はないかを調べます。浅い降下中の癖も同じように手と足を放して調べます。何にもしないのにぐんぐんと頭を下げて落ちて行くのは危険だからです。次は旋回運動をします。紫電改などの戦闘機の場合、まず六十度くらい傾けた姿勢で左右の旋回を行います。さらに傾けて旋回させ、好ましくない癖や振動、各動力レバーの不具合を調べます。おかしいと思ったら、すぐに試験飛行を中止して設計者や整備員に伝えて手直しとなります。テストパイロットには、「危険へは小刻みに歩みを進めよ」とか、「後ろを見て飛べ」という金言があります。急降下試験などは最初は浅い角度で行い、降下する速度も小刻みに増やしていきます。空技廠に操練出身の奥山(益美)という零戦のテストパイロットがおりましたが、急降下の試験の最中に空中分解して殉職しました。下川(万兵衛)大尉もそうです。まだ大丈夫という気持ちは事故につながります。試験飛行をしている時におかしいなぁーーと感じたり、振動や変な音を聞いたりしたら、とにかく着水して原因を確かめなければなりません。わからないまま放っておいて墜落事故を起こしたら、またそれが原因で墜落します。このように会社で定められている試験飛行を繰り返し、悪いところを直して二十回くらい飛ぶと最高速試験を行います。もっとも、それまでに潤滑油や発動機が過熱せず、舵も正常に動くことを確認してからのことですが。発動機を一杯に回して全速運転を続けていても、小さな突風に邪魔されてなかなか最高速を確認することが出来ず、発動機が壊れないかと心配なものでした。全力上昇や海面最高速も同じです。運動性能を調べる方が気が楽でした。最高速や全力上昇試験が終わる頃、航空廠飛行実験部のテストパイロットが会社にやって来て試作機を飛ばします。だいたいは良好で実用試験に耐えると判断されますと、海軍は領収すると会社に伝えます。飛行実験部では持ち込まれた試作機が航空隊で使えるかどうかをテストしますので、飛行実験部のテストパイロットはいろんな経験を積んだベテランでなければ務まりませんでした」
航空廠飛行実験部のテストパイロットとして、早朝より九試中艇やコンソリデーテッドP2Yー1飛行艇フェアチャイルド水陸両用機、ダグラスDF飛行艇など、また愛知や三菱の水上観測機の試験飛行に携わり、その合間を縫って飛行計測の整理や性能評価の作成という多忙な日々を送っていた森川に、赤紙召集令状)が舞い込んできた。