①  グラマンとの死闘  終戦間際、瀬戸内海を舞台にテストパイロット森川操縦の二式大艇とグラマンとの空中戦の死闘です。読んでみて下さい。

①  グラマンとの死闘


「森川飛行士、岡山方面が米艦上機の空襲を受けている、十分注意されたしという緊急電が川西本社より入りました」
電信員が、主操縦席で操縦輪(ホイール)を握る森川の耳元で怒鳴った。
森川の操縦する二式大艇は、詫間航空隊から発動機の不調で川西に送り返されていたもので、新しい発動機に換装し、その試験飛行の真っ最中であった。
「三百まで落とす」
森川は、副操縦席の岡本大作飛行士に向かってこう告げると、急な降下による発動機の過冷を防ぐために整流環フラップ(カウルフラップ)を閉じ、スロットルレバーを絞った。
 目と目を見交わした森川と岡本は、操縦輪をぐっと前に押した。
 艦上爆撃機や戦闘機などは、パワーダイブと呼ばれるようにスロットルを開いて深い角度で逆落としに急降下していたが、二式大艇のように四発で図体が大きい飛行艇の場合、いくら急いでも、「浅い角度で、速度を出しすぎるな」というのが鉄則であった。
 森川の目の前のインスツルメントパネル(計器板)に設けられている水平儀と艇体前後傾斜計が降下を示し、夜行塗料を塗られた高度計の白い針が狂ったように回り始めると、一瞬、無重力状態になった艇内では、調整のために積み込まれていたスパナやドライバが工具箱から音を立てて飛び出し、計測用紙や鉛筆が宙に舞い上がった。
二式大艇は、ゴォー、ゴォーという凄まじい風切り音と、艇体や主翼の主桁にひびが入ったかと思われるような不気味なきしみ音を発しながら、四千メートル上空から、群青の瀬戸内海に向かって降下を始めた。
気速が百九十、二百、二百十と上がり、二百二十ノットを超えたところで、モスグリーンの塗装が剥げてジュラルミンの銀色の地肌が見え隠れする翼端が細かくばたつき始め、操縦輪を握る森川の手のひらとフットバーに置く足の裏に、ガッ、ガッという不気味な振動が断続的に響いてきた。フラッターの前触れであった。
森川は、操縦輪にこめていた力をゆるめた。
急激な降下は飛行機にすさまじい荷重をかけ、その飛行機の限界速度に近づくにつれて、主翼や尾翼にバタバタと旗がはためくような周期一、二秒の短周期振動を発生させる。パイロットがそのまま急降下を続けていると、空気力や翼、機体の弾力性、慣性力の相互作用により振動は複合的に増大し、操縦席ごと揺すられるというような激烈なものとなり、ついには翼や機体の強度の限界を超え、空中分解へとつながる。飛行中の異常挙動の中で、もっとも危険なものが、翼や機体の複合的短周期振動(フラッター)であった。
 二式大艇の場合、降下速度が二百二十二ノットを超えると翼端フラッターが発生する。このデータは、二式大艇の主務テストパイロットである森川が数々の試験飛行の結果判明させた数値であった。
三千五百、三千メートルと高度が下がるにつれ、備讃瀬戸特有の波やうねり、潮目などがはっきりとわかるようになってきた。
高度計の針が二千五百メートルを切ったところで、操縦輪にこめていた力を徐々にゆるめて降下角度を浅くした森川は、オーバーヘッドコンソールに左手を伸ばし、指の間に一番、四番の外側発動機、続いて二番、三番の内側発動機のプロペラピッチコントロールレバー、ミクスチャーコントロールレバーを挟み込み矢継ぎ早に調整すると、スロットルをじわりじわりと開いていった。
 主翼に搭載されている四基の三菱「火星」二十二型空冷式発動機の推力式単排気管から、パン、パパーン、パーンというアフターファイアーとともに、ボッ、ボボッと黒煙が噴き出し、馬力が一瞬抜け落ちた後、ゆっくりと回転を上げていった。
森川が慎重にスロットを開いたのは、急激な降下により空冷式の発動機は冷え切り、筒温計、油温計、排気温度計が過冷(オーバー・クール)を示している状態でスロットルをいきなり大きく開くと、空気とガソリンの混合気が温度の下がったシリンダー内に一気に注入されて不完全燃焼を引き起こし、エンジンストップにつながるおそれがあったからである。
 森川と岡本はフラップを下げ、上半身を弓のようにしならせて操縦輪を引き起こし、機首を上げようとした。
二式大艇の主操縦系統は、巨大なフラップを除けば、方向舵(ラダー)、昇降舵(エレベーター)、補助翼(エルロン)の三舵は人力操作であった。設計当初、フラップと同じように油圧作動も考えられたが、重量が増加する上に構造的に複雑化するため、それまでの飛行艇と同じようにコックピットから右舷艇体に沿って操縦索を延ばし、パイロットの人力で作動させていたからである。
急降下させていた正規重量二十四・五トンの二式大艇を、重力に逆らって引き起こさなければならない。引起しの半径を小さくすればするほどプラスGは大きくなる。操縦輪は地上に引き戻そうとする重力の巨大な手にがっちりとつかまれて、膠着したかのようにあらがった。
 森川と岡本は、両足をインスツルメントパネルの桁にかけて踏ん張り、怒号を発しながら渾身の力を振り絞って操縦輪を引き起こそうとした。
 二式大艇は、千メートルを切ったところで機首を上げたが、なおも沈み込んだ。
 備讃瀬戸の海特有の青黒い海原が操縦席のガラス窓越しに盛り上がり、見る見る迫ってきた。
 高度七百メートル、二式大艇はようやく水平飛行に移った。
続く・・・・・