2010-01-01から1年間の記事一覧

秋の黄砂huángshāホワンシャーが小豆島を包みこむ。

秋の黄砂huángshāホワンシャーが小豆島を包みこむ。 黄砂で太陽の光が遮られている。 中国西部の砂漠タクラマカン、中部の黄土高原、モンゴルのゴビ砂漠などの砂が低気圧に巻き上げられ、ジェット気流に乗って東に向かい、水分を含んで下降し、日本列島を襲…

尖閣諸島問題・健康な国民、国とは・・・

昨今の中国との関わり合いを思うとき、今はどうか知らないが、大英帝国イギリスは、小学生に、我がイギリスが世界中に植民地を持つことができたのは、アフリカでは部族の酋長から植民地となってほしいと頼まれたからであり、インドや中国では、インド人や中…

棒高跳びの絵皿

棒高跳びの絵皿 20年ほど前、小豆島の古道具屋の店先に無造作に積み重ねられていた皿である。 わたしがこの皿に惹かれたのは、図柄が棒高跳びであったからである。棒高跳びの選手の向こうに日の丸が見える。わたしは、小学校だったと思う(?)、国語の教…

日本と中国、ほんまに一衣帯水の国か・・・

日本と中国、ほんまに一衣帯水の国か・・・ 尖閣諸島問題をはじめとして、中国との関わり合いを語るとき、よく「日本と中国は一衣帯水(いちい たいすい)の国」と言われる。菅首相の10月の臨時国会の所信表明演説で「日中両国は、一衣帯水のお互いに重要…

明治の三筆のひとり、巌谷一六の書

明治の三筆のひとり、巌谷一六の書 テストパイロットは、時折巌谷一六が明治33年3月書いたこの書をとりだしてはながめている。 明治の人の気魄が、この書からうかがえる。 巌谷一六(いわや いちろく)、本名は修(幼名は辨治)、字を誠卿といい、一六は…

鈴なりのユズが語る・・・

鈴なりのユズが語る・・・ 家の近く、「咳をしてもひとり」で有名な尾崎放哉終焉の庵である南郷庵の裏手にある家のユズの木が今年も鈴なりの実をつけている。 去年もそしてその前も、このユズの木は鈴なりの実をつけていたが、実はもがれることなく地面に落…

生きたワタリ蟹が一匹100円

生きたワタリ蟹が一匹100円 商業祭で、看板を書くようにと頼まれたテストパイロットが開会前の会場に足を踏み入れると、漁師の人がワタリ蟹とタコを売っていた。生きたワタリ蟹が小さいながらも一匹100円、タコが500円であった。 漁師のおっちゃん…

赤電話の貯金箱

赤電話の貯金箱 昭和60年(1985年)、電電公社が民営化となった。しばらくすると、顔見知りのNTTとなった職員がわたしの職場にやってきて、赤電話を貯金箱にして売り出すので、一台買わないかと言う。聞いてみると、赤電話の貯金箱を売りに行くよう…

尖閣列島問題に、魯迅曰く「俗に大人しいは、一名能なし」

魯迅は、1926年『莽原』第1号の「フェアプレイはまだ早い」において、「俗に大人しいは、一名能なし」ーーそれは人に悪事をそそのかす言葉ではなく、たくさんの苦い経験をなめたはてにでてきた警句であるーー人は、ありとあらゆる悪事をはたらくが、そ…

蜜柑、色づきはじめました。

蜜柑、色づいてきました。 色づき始めた蜜柑 畑の片隅に挿し木した温州蜜柑。挿し木したばかりなのに、こんなに大きな蜜柑が鈴なりになった。地面に近い実ほど甘い。 去年、アホほどなったユズ、知り合いから今年も実をとらせて欲しい、ユズが欲しいと言われ…

古い伊万里焼のダメ親父の絵皿五枚

古い伊万里焼のダメ親父の絵皿五枚 小豆島の古道具屋でホコリまみれ、無造作に積まれていた五枚組の伊万里のダメ親父の皿五枚。 手にとってためつすがめつ眺めていると、古道具屋のじいさんは、わたしが買うと思ったのか、「古い伊万里や、五枚で25000…

伊万里の三つ組みの鉢

伊万里の三つ組みの鉢 染め付けの上がりもよく、金彩が素麺の白さに映えると思い、25年ほど前に島の古道具屋から三万円で購入した三つ組の伊万里の鉢。明治の頃のものかと思う。 大きさはそれぞれ八寸、七寸、六寸。赤絵と金彩が美しい。 あの頃 「コトは…

芸術・文化は金儲け・・・

芸術・文化は金儲け・・・ 思わぬ入院をして帰宅すると、新聞に『香川県は29日、2010年度香川県文化功労者に北岡、北川両氏に、芸術選奨は2氏1団体に決定』という見出しがあった。 香川県の文化功労者か・・・北岡省三氏は、讃岐漆芸の「彫漆」の精…

小豆島特産・オリーブの実の新漬けです。

小豆島特産、オリーブの実の新漬けです。 10月10日を過ぎるとオリーブの実の新漬けが出回ります。 母親を連れてス-パ-へ行ったところ、顔見知りの看護師さんが、県外の友人から頼まれたと言って10袋あまりを購入していました。 病み上がりのテストパ…

にんげんと読むのか、じんかんと読むのか・・・良寛の『草庵雪夜作』

前回、人間を、にんげんと読むのか、じんかんと読むのかについて、尻きれトンボになってしまいました。 にんげんとじんかんの違いを知ったのは、今から20数年前のこと。 テストパイロットは上京するといの一番に、目黒の鷹番にある大学時代の恩師内田義彦…

瀬戸内国際芸術祭農村歌舞伎特別公演その②

農村歌舞伎舞台の桟敷と舞台 丘の斜面を利用した桟敷は、芝居小屋のようにフラットではなく、また中央が低くなっており前に座っている人を気にすることなく、離れたところでも、舞台のかじりつきでも、芝居を観ることができ楽しめる。 子どもも、親が手伝い…

「人間到処有青山」・人間(にんげんか、じんかんか?)

テレビで、アナウンサ-が、幕末の詩僧月性の有名な漢詩を説明していた。 男子立志出郷関 男児志を立てて郷関を出ず 学若無成死不還 学若し成る無くんば復還らず 埋骨豈期墳墓地 骨を埋むること何ぞ墳墓の地を期せん、 人間到処有青山 人間到る処青山有り。 …

瀬戸内国際芸術祭・肥土山農村歌舞伎特別公演その①

普段、観ることのできない農村歌舞伎の舞台裏です。 鬘の下ごしらえと整え。 演目によっては何年間か何十年か眠っていた鬘を衣装蔵から出して、椿油などで下ごしらえをして役者の頭をかざる鬘を整える。 まず最初の演目、五穀豊穣を願っての三番叟に出演の役…

いつの間にか、「このごろの若い者は」

21日で、5うん歳になった。高校の後輩で漢詩漢文のブログをひらいている浜中君のブログをのぞくと、今の自分の気持ちにぴったりの漢詩が掲載されていた。 陶淵明の「雑詩」十二首の第六首。 昔聞長老言 昔 長老の言を聞き 掩耳毎不喜 耳を掩(おお)いて毎…

瀬戸内国際芸術祭・肥土山農村歌舞伎特別公演その①

瀬戸内国際芸術祭のフィナ-レをかざる肥土山農村歌舞伎特別公演 肥土山の農村歌舞伎の舞台へ行く途中、瀬戸内芸術祭の作品である藁で造った小屋やマンモス、鯨が田んぼの中にいます。 人と比べてみてください。結構大きいです。 地区の皆さんの手で舞台の準…

バブル上海

一年で土地の価格が何倍にも高騰するバブル真っ最中の上海は、想像していた以上に、超近代化していた。 ある商社の社宅に招かれ、29階のコンドミニアムから撮影した上海は、記憶の残る28年前のしっとりとしたオ-ルド上海のかつての姿など消し飛んでしま…

備前焼が魚の鱏(エイ)に化けそうになった・・・日生の五味の市

生け簀からあげたばかりの子どものエイを料理していた。500円 コリコリとした軟骨と縁側の煮付け、小豆島では味噌汁の中にいれて食べている。このような新鮮なものは、臭みもなくおいしい。 備前焼きの故郷伊部から東に、赤穂線で四つ目の駅が海沿いにあ…

備前焼の逸品、買いました・・・

津山ホルモンうどんなどの食べる物だけでなく、備前焼も予算3000円以内で買いました。 1000円の備前焼きが並びます。十分楽しめますよ。 500円のとっくり。横のぐい飲みは200円です。 掛け花入れの変わったのが目についた。左から2番目の四角…

B級グルメ・津山ホルモンうどんとヒルゼン焼きそば

17日の日曜日、毎年恒例の「備前焼祭り」に、いつものずっこけメンバ-で行った。テストパイロットの役目は、あまりあてにならない目利きと値切り役である。 小豆島大部から岡山県の日生行きフェリ-に乗ること一時間と10分、船着き場の真っ正面にある日…

牛転(うしまろび)から牛窓になったという・・・

備前焼祭りの帰り、小豆島行きのフエリ-と日生の港 日生港の沖合に浮かぶ、ここで罪人の首を斬って処刑したと伝えられている岩礁 牛窓を望む 小豆島と備讃瀬戸の海をへだてた対岸に、岡山県瀬戸内市に牛窓という古い湊町がある。小豆島と並び、日本二大オリ…

昨今の中国を思うと・・・

「社会的地位が上がったり、金持ちになると、態度は自然と大きくなる。」・・・このことは、洋の東西を問わず、また古今を問わず、普遍的現象であるのは、だれしも思い当たり、実際に経験したことがあろう。 たとえば、還暦の祝いの記念写真などは、そのこと…

上海最後の夜は豫園で送別の宴

上海最後の夜9月20日は、豫園で送別の宴 豫園は、旧上海城(南市)とよばれ、租界時代の上海においても中国人だけが住む地域で、中心に豫園がある。豫園の「豫」は「愉」に通じ、すなわち「楽しい園」という意味。豫園は外灘と並ぶ上海2大観光スポットの…

上海内山書店-② 魯迅の書

魯迅の書 上海内山書店に於いて 内山書店跡であることを示すプレ-ト。旧内山書店の店舗は現在中国工商銀行となっており、二階が記念館となっている。 魯迅 魯迅(ろじん、ルーシュン、1881年9月25日 - 1936年10月19日)は中国の小説家、翻訳家、思想家。本…

上海内山書店-① 魯迅の絶筆

魯迅の絶筆 上海内山書店に於いて 老板几下 意外ナコトデ夜中カラ又喘息ガハジメマシタ。ダカラ、 十時頃ノ約束ガモウ出来ナイカラ甚ダ済ミマセン。 御頼ミ申シマス、電話デ須藤先生ニ頼ンデ 下サイ。早速ミテ下サル様ニト 艸々頓首 L拝 十月十八日 これは…

魯迅のお墓に献花と終焉の家へ

魯迅のお墓に献花と終焉の家へ 9月19日、魯迅公園内にある魯迅廟に献花をした後、大陸新村の魯迅終焉の家へ行きました。気温は35度を超えていました。 中国語と日本語、英語の案内板 奥から二軒目が魯迅終焉の家です。 三階建ての集合アパ-トです。一…